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n1单词量(N1中的这些词汇你读对了吗)

n1单词量(N1中的这些词汇你读对了吗)言葉から受ける感じから「快気炎」としたいところだが、「怪気炎」が正しい。「気炎」とは、盛んな意気の意味。「怪気炎」は「怪しく感じるほどの盛んな意気」ということである。3.怪気炎(かいきえん)を上げる。2.奉加帳(ほうがちょう)方式で自治会の集会所建設資金を募る。「奉加帳」とは寺社への寄進の内容と寄進者を記した帳面のこと。ここから「奉加帳」を回して人々から資金を集めることを「奉加帳方式」という。「ほうかちょう」と言う人が結構いるが、「ほうがちょう」と読むのが正しい。所谓「奉加帳」就是寺庙神社登记捐赠内容和捐赠者的帐本。由此传递「奉加帳」让人们筹集资金的方法被叫作「奉加帳方式」。很多人将其读成「ほうかちょう」,正确的读法为「ほうがちょう」。

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浪漫樱花季

1.せっかくの計画がご破算(ごはさん)になる。

「ご破算」とは、算盤で、計算をもとに戻して、零にすること。転じて物事が台無しになり、最初の状態に戻ることを表す「ごわさん」ともいう。

「ご破算」意为用算盘重新计算,算盘归零。转而意指事情办糟了,也意为回到最初的状态读作「ごわさん」。

2.奉加帳(ほうがちょう)方式で自治会の集会所建設資金を募る。

「奉加帳」とは寺社への寄進の内容と寄進者を記した帳面のこと。ここから「奉加帳」を回して人々から資金を集めることを「奉加帳方式」という。「ほうかちょう」と言う人が結構いるが、「ほうがちょう」と読むのが正しい。

所谓「奉加帳」就是寺庙神社登记捐赠内容和捐赠者的帐本。由此传递「奉加帳」让人们筹集资金的方法被叫作「奉加帳方式」。很多人将其读成「ほうかちょう」,正确的读法为「ほうがちょう」。

3.怪気炎(かいきえん)を上げる。

言葉から受ける感じから「快気炎」としたいところだが、「怪気炎」が正しい。「気炎」とは、盛んな意気の意味。「怪気炎」は「怪しく感じるほどの盛んな意気」ということである。

从语言角度接受的感觉是「快気炎」,但「怪気炎」是正确的。「気炎」就是指旺盛的气势之意。「怪気炎」指的就是气势凶猛到感觉怪怪的。

4.自らの出処進退(しゅっしょしんたい)をかけてプロジェクトを立ち上げる。

「出処進退」とは、「身の処し方」のことで、「出所進退を明らかにする」などと使われる。「出処」の「出」は「役人になること」、「処」は「役人にならずに家にいること」の意味。刑務所を出るわけではないので、「出所」とはならない。

「出処進退」意为去留的处理,也表达为「出所進退を明らかにする(用于明确去留)「出処」的「出」译为成为官员,「処」译为没有成为官员呆在家里。但并不是说从牢里出来的意思,所以不能写作汉字「出所」。

5.競争相手に対して大見得(おおみえ)を切って見せる。

「見得」は元来、歌舞伎などの大事な場面で役者が見せる大げさな表情やしぐさのこと。転じて、自信たっぷりな発言やしぐさをすることをいう。一方、「見栄え」とは人の目を気にして上辺を飾ることである。

「見得」原本是歌舞伎重要场合演员见面时做的夸张的表情和动作。由此转变成自信满满的发言或动作。另一方面「見栄え」意为在意别人的眼光妆扮自己的外表。

6.容疑者が黙秘権(もくひけん)を行使する。

刑事ドラマなどを見ていて頻繁に耳にする言葉。自分に不利益な供述を拒否できる権利のことで、日本国憲法により全国民に保障されている。「犯罪を否定する権利」の意味ではないので「黙否」とはならない。「黙秘」は「言わずに黙り通すこと」の意味である。

看刑事电视剧中频繁出现的词。意思为根据日本宪法为保障全体民众,有权利拒绝对自己不利的供述。但不是指否认犯罪的权利,所以不能用于「黙否」。「黙秘」意为不说话保持缄默。

7.教会の礼拝堂(れいはいどう)で神に祈る。

「礼拝」は「らいはい」「れいはい」のどちらとも読む熟語。ただしキリスト教の神に祈る場合は「れいはい」、仏を拝む場合は「らいはい」と読む。

「礼拝」可以读作「らいはい」「れいはい」。但是在向基督教神祈祷时读作「れいはい」,像佛参拜时读作「らいはい」。

8.単刀直入(たんとうちょくにゅう)に話をする。

「一ふりの刀で敵陣に切り込む」の意。転じて、回りくどい方法を取らず、直接本題に入ることを言う。「短刀」で敵に切り込むのはちょっと無謀だ。

一把刀杀入敌人阵营之意。演变成不采用迂回的方法,直接进入主题。用短刀冲进敌人阵营是有勇无谋的做法。

9.破天荒(はてんこう)な作戦を練る。

「天荒」とは「未開の荒地」の意。科挙の合格者が出ず、「天荒」と呼ばれていた地方に、初めて合格者が出て「天荒を破った」と称したという故事から、誰もとしたことがないことをやってのける様を「破天荒」というようになった。

「天荒」指未开垦的荒地之意。没出现过科举合格的人,未中过举的地方初次出现了考中的人被称作“破天荒”,从这个故事开始如果谁做出了别人从没做的过事情就用“破天荒”来形容。

10.部下たちに大盤振る舞い(おおばんぶるまい)をする。

気前よく食事や金品を振る舞うことをいう言葉。「大番振る舞い」の誤りはともかくとして、実は「大盤振る舞い」も「椀飯振舞」の誤用が元で広まったものだとされている。

在吃喝,贵重物品方面显得很大度。先不说「大番振る舞い」的错用,其实「大盤振る舞い」也是「椀飯振舞」的误用而被传开使用了。

11.みんなあの男を毛嫌い(けぎらい)している。

「毛嫌い」は、はっきりした理由もなく嫌うことをいうが、語源は鳥獣が毛並みによって相手を嫌うと考えられていたことにある。嫌いなものを見るとゾクゾクツと総毛だつからではないらしい。

「毛嫌い」是指无需明确的理由就讨厌,词源就是鸟兽类根据毛色判断对对方的喜好。看到不喜欢的就毛骨悚然起来了。

12.気難しいがりやの彼が珍しく相好(そうごう)を崩した。

「表情を崩して、にこにこする」ことを「相好を崩す」という。「相好」は元来は仏教の用語で、仏の端厳微妙な容貌を形作る様々な優れた特徴を指す「三十二相八十種好」という言葉から。転じて「顔つき」「容姿」の意味で使われるようになった。

变脸微笑也叫喜笑颜开。「相好」本是佛教中的用语,指的是佛教中佛的各种端庄微妙容貌形状特征的「三十二相八十種好」。后又转变为“长相”“容貌”的意思。

13.彼はわが社にとって疫病神(やくびょうがみ)みたいなものだ。

「厄介、厄年」などからの連想で、つい「厄病神」としてしまいそうだが、「疫病神」が正しい。「疫病神」とは疫病を流行させる神のこと。転じて、「禍をもたらすとして人から嫌われる人物」の意味で使われるようになった。

从「厄介、厄年」联想而来,最终变成了「厄病神」,但正确为「疫病神」。「疫病神」指的是让疫病流行的神明。后来被用在带来灾祸讨人厌的人身上。

14.ご清聴(ごせいちょう)ありがとうございました。

「清聴」は他人が自分の話を聞いてくれることを敬って言う言葉。一方、「静聴」は「静かに聴く」の意味だ。したがって「ご静聴ありがとうございます」などとは言わない。

「清聴」是对于别人听自己的讲话而表示尊敬礼貌的用语。另外「静聴」是指安静的倾听之意。但没有「ご静聴ありがとうございます」的表达用法。

15.秘策が功を奏する(こうをそうする)。

「功を奏する」は、もともとは「事の成功を君主に申し上げる」の意味。ここから「目的どおりに物事を成し遂げる」の意味で使われるようになった。二字熟語の「奏功」も同じ意味の言葉だ。

「功を奏する」原义是将办好的事向君主汇报。而这里的用法是指按照目标如愿达成之意。同二字复合词「奏功」是相同的意思。

16.わが社の方針は上意下達(じょういかたつ)で決められる。

「上意」とは「君主のお考え」のこと。上の者の意思や命令を下の者に徹底させることを「上意下達」という。もっとも最近ではもうちょっとしゃれた言葉で「トップダウン」などということが多い。ちなみにこの言葉の対義語は「ボトムアップ」という。

「上意」指的是君主的想法。把领导层的想法,命令彻底传达给下级称为「上意下達」。而最近出现了一个很多人都说的时髦新词「トップダウン」,而它的反义词是「ボトムアップ(自下而上)」。

17.一見(いちげん)さんお断りの店。

「いっけん」とも「いちげん」とも読む言葉だが、ここでは「いちげん」が正しい。「いちげん」とは紹介もなしに初めて来た客のことである。

「いっけん」和「いちげん」的读法都有,但这里读作「いちげん」。「いちげん」意思为没有经他人介绍初次来的客人。

18.政治と経済の動きが軌(き)を一にする。

「軌」とは「わだち」の意味。「わだちを同じくする」の意味から、行き方が同じであることを「軌を一にする」という。ちなみに「一にする」は「いちにする」ではなく「いつにする」と読む。この点も間違いやすいので注意が必要だ。

「軌」就是「わだち(车辙)」的意思。从把车辙做成相同的,以此引申为行进的方向一致而叫作「軌を一にする」。同时「一にする」不读成「いちにする」而是读成「いつにする」。读音也是很容易出错的地方要多注意。

19.相手の言葉に相槌(あいづち)を打つ。

「相槌」は向き合った鍛冶の師と弟子が交互に槌を打ち合ったことからきた言葉。人の言うことに調子を合わせたりうなずいたりすることをいう。相手に調子を「合わせる」からといって「合槌」と書くのは誤り。

「相槌」是指打铁的师徏面对面一人锤相互练铁而来的词语。也形容边听别人说话边点头的样子。但不能因为是跟着对方的节奏就写成「合槌」是错误的。

20.剛毅木訥(ごうきぼくとつ)仁に近し。

「剛毅木訥仁に近し」とは、「意志が強く、口数の少ない飾り気のない人は、道徳の理想とする『仁』に近い」という意味。「木訥」は「朴訥」と同じ意味だが、原典の「論語」に従って「木訥」と書くのが本来の表記。

所谓「剛毅木訥仁に近し」指的是意志坚强,说话不掩饰的人,接近于我们道德理想的『仁』字。「木訥」和「朴訥」是相同意思,但在《论语》原书中写为「木訥」。

21.奇しくも(くしくも)娘の誕生日は祖父の命日と同じであった。

「不思議にも」の意味を表す「奇しくも」は文語の「奇し」の連用形に助詞「も」の付いたもの。したがって「きしくも」とは読まない。

「奇しくも」就是不可思议的意思。是文言词「奇し」的连用形后加助词「も」。但是不读成「きしくも」。

22.多くの有名人が一堂(いちどう)に会する。

多くの人が同じ場所に集まることを「一堂に会する」という。「一堂」とは「一つの建物」、つまり「同じ場所」という意味だ。一方「一同」は「みんな」「全員」の意味。どうしても「一同」という語が使いたければ、「一同が会する」とすべきだろう。

很多人聚积在同一个地方用「一堂に会する」来表达。「一堂」就是一个建筑,也就是说同一个场所的意思。另一方面「一同」是大家,全员的意思。如果想使用「一同」这个词语来表达时,则应该使用「一同が会する」来表达。

23.舞台で見せた彼の演技はまさに圧巻(あっかん)だった。

「圧巻」は書物や催し物の最も素晴らしい部分のこと。「巻」は、試験の答案を指す。昔の中国の科挙制度では、最も優秀な答案を他の答案の上に置いたことから「他を圧する答案」の意味でこの語が生まれた。

「圧巻」指的是书籍或是集会活中最精彩的部份。「巻」指的是考试答案。从前中国的科举制度,把最优秀的答案放在其他答案之上,而被表达为「他を圧する答案(胜过其他人的答案)」从此诞生了「圧巻」一词。

24.これからのことは何も知らされていない。まさに五里霧中(ごりむちゅう)の状態だ。

深い霧が立ち込めて、全く方角が分からない状態に陥ること。転じて、何の手がかりもなく、判断に迷うことをいう。昔、張楷という人が道術によって五里四方にわたる霧を起こしたという故事に由来する。

起浓雾,陷入没有方向的状态。后来又形容没有任何线索,不知如何判断。此词语出自从前有一个叫张楷的人使用道术让方圆五里起了雾的故事。

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