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中日交流标准日本语直播(中日双语)

中日交流标准日本语直播(中日双语)“明天(1月26日),中日友好医院将派出紧急救援队援鄂。”当时,中日友好医院的恩师陈老师联系到我:青年海外合作队的派遣期为两年,原定我将于2020年7月底回国。同年1月上旬,受湖南朋友之邀,我购买了机票,打算体验南方春节的年味。剩余半年的任期要做些什么呢?回国后要从事怎样的工作?对于这些问题的思考充斥着我的日常生活。我从未想过,数月后世界将会发生如此巨变。年后,武汉发现不明原因新型肺炎患者的消息频繁见报。随着春节临近,我切身感受到了医院内部的紧张感与日俱增。来院患者全员检测体温,医护人员必须配戴口罩和防护帽,院内每天组织传染病专家进行培训,并练习防护用具的穿脱……即便我中文不太好,也从同事的对话和行动中感受到了“恐惧”。得到同事“最好取消春节旅行,要不就回不了北京了”的建议后,我挣扎着做出决定——春节期间闭关在家。1月23日,中国政府宣布武汉封城。我的春节就此开始。日本国际协力机构通知我:

今天我们继续推送“熊猫杯”全日本青年征文大赛获奖作品,一起来看看岩崎春香与中国的故事吧!

中日交流标准日本语直播(中日双语)(1)

岩崎春香:护士

两年前,我从未想过,自己会如此地思念中国。

2018年7月底至2020年1月底,我作为日本国际协力机构(JICA)青年海外合作队中的一名护士,被派遣至北京市中日友好医院国际部门诊工作。由于工作场所的性质,与日本联系较多,我在国际部这个充满国际色彩的环境中,和热情的同事一起度过了别具意义的时光。更重要的是,在此期间,我积累了丰富经验,它们颠覆了我在日时的对华印象。随着对中国,尤其是对中国人了解的不断加深,我愈发喜欢上了这个国家和这里的人。

青年海外合作队的派遣期为两年,原定我将于2020年7月底回国。同年1月上旬,受湖南朋友之邀,我购买了机票,打算体验南方春节的年味。剩余半年的任期要做些什么呢?回国后要从事怎样的工作?对于这些问题的思考充斥着我的日常生活。我从未想过,数月后世界将会发生如此巨变。

年后,武汉发现不明原因新型肺炎患者的消息频繁见报。随着春节临近,我切身感受到了医院内部的紧张感与日俱增。来院患者全员检测体温,医护人员必须配戴口罩和防护帽,院内每天组织传染病专家进行培训,并练习防护用具的穿脱……即便我中文不太好,也从同事的对话和行动中感受到了“恐惧”。得到同事“最好取消春节旅行,要不就回不了北京了”的建议后,我挣扎着做出决定——春节期间闭关在家。1月23日,中国政府宣布武汉封城。我的春节就此开始。

日本国际协力机构通知我:“北京或许也会封城,日本总部应该会发布紧急回国的调令。”在未来尚不明朗的当下,我看到了一则与武汉相关的微信推送,推送中报道了冲锋在武汉新冠疫情治疗一线的医护人员的故事。阅读时,我的泪水盈湿了眼眶,止不住地落下。读毕,虽然自己的中文理解能力有限,但我还是心无旁骛地将相关内容翻译成日语,并将译文发给了相识的免费刊物发行商,拜托他将文章发给尽可能多的在华日本人。最后,有2500多人在线上浏览了这篇文章。作为一名在华日本人,作为一名医务工作者,我开始思考自己究竟能做些什么。于是,我将洗手方法、口罩戴法、咳嗽时需注意的社交礼仪、居家隔离的注意事项等绘制成了插图。和那篇文章一样,我也拜托了多位朋友在微信上推广扩散,最后很多人都收到了,不论是日本人还是中国人。

当时,中日友好医院的恩师陈老师联系到我:

“明天(1月26日),中日友好医院将派出紧急救援队援鄂。”

对我来说,新冠肺炎并非相距甚远,而是近在咫尺。次日,我得知国际部门诊的同事王丽丽就在紧急救援队的成员名单之中。于是,我立即给她发了一条中文信息。

“丽丽老师,一定保护自己,一定安全归来!”之后我很快收到了这样的回复:

“頑張って(加油)”

泪水夺眶而出,我止不住啜泣。

同年1月29日,我收到日本国际协力机构的通知,不得不暂时返回日本。我在回国后得知,除王丽丽以外,同事程金丽和王萍也奔赴了武汉。中日友好医院的100多名医护人员和行政人员都加入了援鄂队伍,最终全员平安返回北京。

现在,我在新冠肺炎轻症患者隔离区从事护士工作。我深刻领会到了那句“加油”中所蕴含的鼓励,做着自己力所能及的事。

我期待有朝一日在中日友好医院与大家微笑重逢。

山川异域,风月同天

青山一道,同担风雨

获奖感想:

如果能通过作文,让更多日本人感受到当时的抗疫氛围,我就很满足了。正如我在颁奖仪式发言中提到的那样,我相信“黑夜总会过去,雨天总会放晴”。让我们一起跨越苦难,期待未来能在中国收获更多精彩体验。


「頑張って」

岩崎 春香(いわさき はるか)

看護師

こんなにも中国を恋しく思うようになるとは、2年前は考えもしなかった。

私は2018年7月末から2020年1月末まで、北京市にある中日友好病院国際部外来で、日本国際協力機構の活動の一つである青年海外協力隊の看護師隊員として活動していた。中日友好病院という場所柄、日本との関わりも多く、温かい同僚たちや国際部という国際色豊かな環境で有意義な時間を過ごした。何よりも、日本で言われている中国のイメージを覆す沢山の素敵な経験をし、私は中国、特に中国の方々を知れば知るほど好きになっていった。

青年海外協力隊の任国での活動は2年間、私は20年7月末まで活動の予定だった。同年1月上旬、湖南省にいる知人が春節遊びに来なよと誘ってくれ、南方の春節の過ごし方を体験しようと思い航空券を買った。残り半年の任期中にどんな活動をしようか、帰国したらどんな仕事をしようか、考えていた。中国でいつも通りの私の日常が、そこにはあった。その数カ月後に世界が本当に大きく変わるなんて、想像すらしなかった。

年明けから、武漢で発見された原因不明の新型肺炎患者さんについて、ニュースで頻回に取り上げられた。春節が近づくにつれ、病院内の緊張度が高まるのを肌で感じた。来院患者さんは全員体温検査、医療従事者はマスクとヘアキャップ着用、毎日行われる感染症専門家の院内研修、防護具の着脱練習……十分とは言えない私の中国語力でも、会話や行動から「恐怖」を感じていた。同僚から「春節の旅行はキャンセルした方がいい、北京に戻れなくなる」と助言を受け、苦渋の決断をした。春節は家に引きこもろうと決めた。1月23日、中国政府は武漢の都市封鎖を決定した。私の春節はこうして始まった。

日本国際協力機構からは「北京も封鎖するかもしれない、日本の本部から緊急帰国の命令が出るかもしれない」と言われた。今後が不透明な中、ウィーチャットで武漢に関する投稿を見つけた。それは、武漢で新型肺炎患者さんの治療に当たる最前線の医療従事者の記事だった。読みながら、溢れては流れ落ちる涙を止めることが出来なかった。読み終わってすぐ、一心不乱にその内容を拙いながら日本語で翻訳し、知り合いのフリーペーパー発行元に「この内容を沢山の中国に住む日本人に届けて欲しい」と依頼した。結果としてオンラインで2500人以上の人が目を通してくれた。中国にいる日本人として、医療従事者として、私に何か出来ることはないだろうかと考え、手洗いやマスクの付け方、咳エチケット、自粛生活の注意点をイラストにした。これも同様にウィーチャット上で広めて欲しいと多方面に呼びかけた。結果、日本人中国人に関わらず、多くの人に届けることが出来た。

そんな中、中日友好病院の恩師である陳さんから連絡が来た。

「明日(1月26日)、中日友好病院から武漢への緊急援助隊を出すことになりました」

私にとって新型肺炎は遠くで起こっている出来事ではなく、より近くで起こっていることに感じられた。次の日、緊急援助隊の中に国際部外来同僚の王麗麗さんがいることを知った。直ぐに彼女に中国語でメッセージを送った。

「丽丽老师,一定保护自己,一定安全归来!(麗麗さん、どうか気をつけて、無事に帰ってきて!)」返事はすぐにあった。

日本語で「頑張って」

溢れる嗚咽を止めることが、出来なかった。

同年1月29日、日本国際協力機構の命により、日本への一時帰国を余儀なくされた。帰国後、王麗麗さんだけではなく、同僚の程金麗さんと王萍さんも武漢へ向かった。100名以上の中日友好病院の医療従事者、事務方の職員が武漢へ向かった。そして全員無事、北京に戻ってきた。

今私は新型肺炎軽症感染者隔離施設で看護師の仕事をしている。あの時の「頑張って」をしっかりと受け取り、私は自分の出来ることをしている。

また、中日友好病院で皆と笑顔で会える日を楽しみにしながら。

山川異域 風月同天

青山一道 同担風雨

受賞の感想:

作文を通して多くの日本の方々に、あの時の空気感を知っていただけたら幸いです。表彰式のあいさつでもお伝えしましたが、「黑夜总会过去,雨天总会放晴(明けない夜はない、止まない雨はない)」と信じています。この苦難を一緒に乗り越え、また中国で素敵な体験が出来ることを楽しみにしています。

(翻译:黄泽西)

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