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中日问候语对比研究(中日双语大谷琢磨)

中日问候语对比研究(中日双语大谷琢磨)平时在日本生活,总以为中国离我很远。可一旦走出日本,就会明白中国和日本就是邻居,不仅人长得像,还都在东亚,而且文化圈也相似。对于中国在非洲的发展,可能确实会遭受一些质疑。但我认为,尽管困难重重,可日本作为中国的邻居,应与中国一道共商合作大计,创造美好的世界。这对于未来的发展和减少贫困至关重要。最后,说说更个人层面的切身体验。我在乌干达调研时,在路上经常有人叫我“Chinese”,因为在乌干达务工的中国人很多,加之乌干达人很喜欢功夫电影,所以在路上行人会把我当作中国人搭话。其实,他们分不清中国人、韩国人和日本人的样子。经常有人问我:“为什么你们长得那么像啊?”每每这时我就会解释说:“因为中国和日本是邻居呀,就像乌干达和肯尼亚。”他们就会理解了。像这样解释多了,我也越来越觉得中国亲近,相比从前只知道中国应该是地图上离日本最近的国家,现在是真觉得中国是日本的邻居了。首先,中国对乌干达进行了大量投

今天我们继续推送“熊猫杯”全日本青年征文大赛获奖作品,一起来看看大谷琢磨与中国的故事吧!

中日问候语对比研究(中日双语大谷琢磨)(1)

大谷琢磨:京都大学研究生院亚非地域研究研究科5年级

在地图上看,日本和中国很近。虽然从日本长崎到中国上海的距离仅约700公里,可我从前总是视中国为一个遥远的国度。这可能是因为我身处日本,受到了很多日本对中国负面看法的影响。然而在2015年以后,自我在遥远的非洲开始调研工作起,我对中国的认识发生了变化。

近年来,中国在非洲各国间的存在感日渐增强。我的工作地在乌干达,在那里,与中国有关的“东西”随处可见。这些从中国大量涌入非洲大陆的“东西”主要有三大类:用于投资和援助的钱,廉价中国制品所代表的物以及劳务输出的人。社会上对此也有批评声音,认为这是中国对非洲实行的“温和”的“帝国主义”政策。而我通过在乌干达的生活,对这种意见有了不同看法。

首先,中国对乌干达进行了大量投资和援助。这使乌干达城市地区迅速建立起了道路交通网,高楼林立。举个例子,乌干达曾面临的问题之一是柏油公路普及率低及交通拥堵问题。中资企业为此修建了连接机场和首都的直通高速公路。直到两年前,从首都移动到机场尚需花费2~3个小时,而现在新建的高速公路将这段时间缩短到了1小时以内,交通非常便捷。

其次,对非洲消费者来说,中国制造的产品比以往从发达国家进口的产品价格更低廉,入手更方便。受惠于此,包括我在内,生活在非洲的人们可以享受到更加丰富的消费生活。我的乌干达朋友们都穿着中国产的服装,用着中国制的手机。我在住处用的也是中国制造的家电和床垫,调研生活舒适惬意。

另外,中国的外出务工人员如今在乌干达各地都做起了生意。生意形式多种多样,包括批发、中餐馆和零售店等等。两年前,有中国人在我调研的地方城市开了一家超市。以往需要到首都才能买到的物品,如今在地方也能买到了,生活变得非常便利。而且,在我不想吃当地食物时,可以去首都的中餐馆吃饭,寻觅近似于日本的味道,振作精神。

最后,说说更个人层面的切身体验。我在乌干达调研时,在路上经常有人叫我“Chinese”,因为在乌干达务工的中国人很多,加之乌干达人很喜欢功夫电影,所以在路上行人会把我当作中国人搭话。其实,他们分不清中国人、韩国人和日本人的样子。经常有人问我:“为什么你们长得那么像啊?”每每这时我就会解释说:“因为中国和日本是邻居呀,就像乌干达和肯尼亚。”他们就会理解了。像这样解释多了,我也越来越觉得中国亲近,相比从前只知道中国应该是地图上离日本最近的国家,现在是真觉得中国是日本的邻居了。

平时在日本生活,总以为中国离我很远。可一旦走出日本,就会明白中国和日本就是邻居,不仅人长得像,还都在东亚,而且文化圈也相似。对于中国在非洲的发展,可能确实会遭受一些质疑。但我认为,尽管困难重重,可日本作为中国的邻居,应与中国一道共商合作大计,创造美好的世界。这对于未来的发展和减少贫困至关重要。

访华感想:

这是我第一次到中国研修旅行,我用自己的全部感官感受了中国。在日本,即便吃中华料理、看到从中国来的游客,或是和中国留学生交流,我也还是觉得中国很遥远。然而,此次到访,我感到此前对中国和中国人的模糊印象一下子变得生动具体了。


「アフリカで身近に感じた隣人」

大谷琢磨(おおたに たくま)

京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科5年

日本と中国は、地図上では近い。長崎から上海まで700㌔ほどしか離れていない。しかし、私は、中国をどことなく遠い国のようにとらえてきた。それは、日本で目にする、中国に対する否定的な意見などが影響しているのだろう。ところが、2015年以降、遠く離れたアフリカで調査をするようになったことで、中国に対する心境に変化が生じてきた。

近年、アフリカ諸国に対する中国の存在感は強くなっている。私が調査をしているウガンダでは、随所で中国関連の「モノ」を目にした。中国からアフリカ大陸には、投資や資金援助というカネ、安価な中国製品というモノ、出稼ぎ労働者というヒトの大きく分けて三つが大量に流入している。世間ではこれを、中国によるアフリカに対する「ソフトな」帝国主義だと批判する声もある。私は、ウガンダで生活する中で、この意見とは異なる考えを抱くようになった。

ウガンダに対して中国は、多額の資金援助や投資をしてきた。その結果、ウガンダの都市部では道路網が急速に整備され、多くのビルが立ち並ぶようになった。例えば、昨今のウガンダは、舗装道路の普及率の低さや交通渋滞の慢性化が問題となっていた。このような状況の中、中国系企業によって空港から首都をつなぐ直通の高速道路が建設された。首都から空港まで移動するためには、2年前までは2~3時間かかっていた。しかし、新設された高速道路のおかげで、この区間の移動が1時間以内にまで短縮され、移動が非常に快適になった。

また、中国製の製品は、今まで先進国から輸入されてきたモノよりも安価で、アフリカの消費者の手にも届きやすくなった。このおかげで、私を含めてアフリカで生活する人々の消費生活は豊かになった。ウガンダの私の友人も、みな中国製の服を着、中国製の携帯電話を使用している。私自身も滞在先では中国製の家電やマットレスを使用し、快適な調査生活をおくっている。

中国の出稼ぎ労働者は、現在ウガンダ各地でビジネスを興している。そのビジネス形態は、卸売りや中華料理レストラン、小売りまで多岐にわたる。私が調査をしている地方都市でも、2年前から中国の人が経営するスーパーができた。それまで首都で調達していたものが地方で手に入るようになるなど、生活が非常に便利になった。また、毎日のローカルフードに耐えられなくなったときには、首都の中華料理レストランにゆき、日本に近い味を思い出して、心をリフレッシュさせていた。

最後に、より身近なレベルでの体験である。ウガンダで調査していると、道端でよく「チャイニーズ」と声をかけられる。ウガンダには中国からの出稼ぎ労働者が多く、また、彼らはカンフー映画が大好きなので、通りがかった私を見て、中国の人だと思って声をかける。実際、彼らは、中国、韓国、日本の人の顔を見分けられない。「なぜそんなに君たちは顔が似ているんだ」と、疑問を投げかけられることもしばしばである。そのような折には、「中国と日本は、ウガンダとケニアのように、neighbor(隣人)だからだよ」と、説明すると理解してくれることが多い。このような説明を何度もしていると、地図上でなんとなく一番近い国だと認識していた中国に対して、中国が日本の本当にご近所のような感覚になり、親しみがどんどんわいてくる。

普段、日本で生活していると、中国は遠くの存在のように感じてしまう。それが、日本を一歩出ると、中国と日本は人の顔が似ており、東アジアという同じ地域に位置し、文化圏も似ているということを自覚する。まさに「neighbor」なのである。中国のアフリカ進出に対しては、確かに批判される点もあるだろう。しかし、困難は伴うだろうが、「neighbor」として、中国と共に、よりよい世界をつくりあげられる方策を考えることは、将来の発展や貧困削減において重要になってくるのではないかと。

訪中の感想:

私は、今回の研修旅行で、五感すべてで中国を感じることができた。日本において、中華料理を食べて、中国からの観光客を見て、中国からの留学生と交流しても、どことなく中国は遠く感じていた。今回初めて中国を訪問したことで、靄がかった中国と中国の人に対するイメージが、急速に具体的な像として自分のなかに形作られたことを感じた。

(翻译:杜彦恒)

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